真理を求めようとするならば “今” がその時である
<解説>
トンネルを抜けると そこには真理の世界が輝いている
トンネルの向こう側へ到るには まず入り口に入らねばならない
禅宗で 「玄関」 というのは 特別な意味がある
「玄妙なる関所 真理への関門」 という意味で
禅寺の入り口に限って使われた用語である
そこから一歩入れば 「幽玄な悟りの世界に入る大切な関門」 だと
ここより奥は 仏陀 ・ 祖師 ・ 和尚の教えによって 深遠なる真理へ通じるのである
中国から日本の禅寺へ 「玄関」 という用語が伝わったのは鎌倉時代で
しばらくして一般の民家にも使われるようになった
ですから禅宗の和尚は よそ様の 「玄関」 に向い進む時には
その家の主人に腹の中まで見透かされて軽んじられないように
「襟」 を正し覚悟を決めて入る (同時に相手を読む覚悟を持つ)
とはいっても厳しい顔つきでは相手が敬遠する
時とともに心が通い合い やがて破眼微笑の軽さも味のうち
ありのままの人間こそが一番である (短所 ・ 剛柔 ・ 共存の露呈)
そのつもりになれば 「玄関」 は 禅寺の入り口ばかりではなく いたるところにある
今から真理を求めようというならば “今” ここが真理への玄関 「発心の門」 である
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