知りすぎて 判らなくなることがある
<解説>
釈迦の十大弟子の一人 アーナンダ(阿難尊者)は 晩年の釈尊に侍者(じしゃ) として仕え
釈尊の生の教えを他の誰よりも多く聞いたことから 「多聞第一」 の弟子と呼ばれた
しかし こうした恵まれた境地にあったにもかかわらず
アーナンダは 釈尊が入滅したときも まだ真の悟りに到達していなかったという
これはアーナンダが多くを聞き過ぎたための悲劇だと思う
釈尊からの多くの教えが 彼を頭でっかちにしてしまった
単なる知識だけならいくらあろうと それは屁にもならぬ かえって邪魔なだけである
大切なのは その得た知識の中に
己に合致する尊い仏性を自己発見(実体験) することである
前回の説法で 真の教育目的は 「伸ばすと摘み取る」 の二つといったことにも通じる
釣った魚を百匹与えられた子供より
一匹の魚の釣り方を経験させられた子供の方が成長する
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