悲しい時は存分に泣き うれしい時は手放しで喜べ
<解説>
悟りに到達した者は何事にも動揺せず 常に泰然自若としていると
一般の人は考えがちである だがそれは間違いである
悟者とて 痛ければ顔をしかめ 悲しければ涙を流す
西行法師の歌に
「春風の花を散らすと 見る夢は さめても胸のさわぐなりけり」
風が花を散らすのではなく 風がなくても花は自然に散ると悟っても
散るのを見ると やはり胸騒ぎはおさまらないという意味である
花が散るのを見て なんの感慨も持たず
ただ 「世の中はそうしたものだ」 と超然としているような悟りは偽者であろう
人はすべからく死ぬ と大悟徹底していても 親が死ねばやはり悲しい
そんな時は 大声を上げて泣きわめくのもよかろう
思い切り地団駄を踏めばよい
「人はいずれ死ぬんだ」 と心に言い聞かせ やせ我慢をして
自然な感情を抑えつける必要がどこにあろうか
私達は 無常の世の中をじっと見つめ その上で自分の心をあるがままにおいてやる
要は 素直に生きることが第一だ
禅はヘソ曲がり的であるが ヘソ曲がりが禅ではない
そこのところを誤解しないで欲しい
言いたいことあれば ずばり言え! ということである
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