高い安いで ものごとの評価は決まらない
<解説>
釘を打ちたいが金槌がない そこで手ごろな石を使う
この時点において 必要ということは金槌も石も等価値である
金槌は金を出して買うから価値が高いということではないのである
名僧一休禅師の実践的な教えの一つとして 新しい 「お地蔵さん」(三重県桑名市) の
開眼供養に際して 村を挙げての大行事に 丁重なる出迎えを受けるが
一休和尚は あえて自分のふんどしを取り出し 地蔵さんの首に巻きつけ
無茶苦茶な供養をやってのけた
京都の高僧が供養すれば さぞや立派な地蔵さんになると 地方の人は考えたが
一休禅師は 逆に奇策を以って対応した
お地蔵さんを大仰に扱えば 庶民から遠ざけられてしまう
庶民が親しく接する地蔵が真の信仰対象であって
名僧の手によって高い価値を持つことが信仰ではないという
遠い存在や高いものが価値があるとは限らないし
安いものだからバカにすると 物事の価値を見失う恐れがある
そのことを一休禅師は言いたかった
P.S.
世間のお地蔵さんに 「よだれかけ」 が見受けられるが
お地蔵さんは決して 「ヨダレ」 は流しません
一休さんのフンドシが何故だか 「ヨダレ掛け」 になったとか?
大衆信仰とは 滑稽なり かくの如し!
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