よい子 わるい子と見る目が わるい子をつくる
<解説>
現代の教育者は 子供たちを 「よい子」 「わるい子」 に 区分したがる
まるで生まれつき 「よい子」 と 「わるい子」 がいて 「わるい子」 は自分のせいではないと
責任逃れしているかのように思える これはとんでもない間違いである
中国の古い話ですが 盤山という僧が町を歩いていると
肉屋の前である客が 「うまい肉をくれ」 といっている
店主は 「旦那 どこによくない肉があるかね うちの肉はみんな良い肉ばかりだ」
と言い返した このやり取りを聞いていた盤山は 「よい」 「わるい」 を作り出すのは
人の心にほかならないことを悟った
同様に 「よい子」 「わるい子」 も 人間 なかでも教師の心が勝手に作り上げたものなのである
「お前はわるい子だ」 と決め付けたら その子がショックをうけないわけがない
この瞬間から 「本当のわるい子」 に育っていくのが目に見えてくる
子供のもつ “尊いもの” を引き出してやるのが真の教育で
そもそも 「わるい子」 などなく みんな 「よい子」 だと思うのである
「悪い芽を摘み取る」 ことをせず 「わるい子をつまみ出す」 ことをしている
そんな大人 ・ 教育者 ・ 上司が人を活かせず無駄に殺している
だめだと決める前に 育ててのばせなかったことの 「己の反省」 が必要である
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