つ じ 説 法

 
          <参考書籍>
 
            ・ 講 談 社 「禅語百話」 佐藤俊明 著
            ・ ごま書房 「一日一禅」 ひろさちや 著
            ・ 新 潮 社 「仏教とっておきの話」 ひろさちや 著
            ・ 淡 交 社 「禅語にしたしむ」 小堀卓巌 著
                         
                                 など、 主要新聞記事を含む
 
 
   「本来無一物(ほんらいむいちもつ)      2007年10月01日 NO・056
 
 
あなたの心の鏡は 本当に曇っているのだろうか
 
 
<解説>
 
唐の五祖 ・ 弘忍は 弟子の中から後継者を選ぼうとして 各自に対し
 
悟りの境地(成果)を偈詩(漢詩)で報告させた
 
 
秀才の誉れ高い神秀が まず詠んだ
 
「身は是れ菩提樹 心は明鏡の台の如し 時々に勤めて払拭し
 
          塵埃を惹(ひ)かしむこと勿れ」
 
(我々の心は 煩悩のホコリによって曇る鏡のようだ だから たえずホコリをぬぐわねばならぬ) と
 
これを聞いて 他の兄弟弟子たちは 「さすが神秀だ」 と賛嘆した
 
 
これに対し 自分では文字も十分書けなかった無学の恵能が
 
長かった修行の心境を こう詠んだ
 
「菩提もと樹なし 明鏡もまた台に非ず 本来無一物 何れの処にか塵埃を惹(ひ)かん」
 
(悟りは樹などではない 曇りの無い鏡でもない 元々何もありはしない どこにホコリの付きようがあろう)
 
 
師匠の弘忍は 恵能を認め 後継者に指名したが
 
「本来無一物」 こそ禅の心だと 見たのである
 
 
但し 凡人は 一足とびに煩悩から脱け出すことは出来ない
 
もともと煩悩などはないという境地に至るまでには やはり神秀のように
 
時々心のホコリをぬぐうことも必要であろう
 
 
人間生まれたときは みな裸で無一物 欲しがる心は人間社会(娑婆・煩悩)で作り出され
 
欲望を満たそうと頑張るものの いつしか足元を危うくしている
 
物や金に執着して欲望を限りなく持ち続けるは 「己を見失う」 ことになる
 
 
「もともと何も無かった」 と思えれば そこで裸の自分が見えてくる
 
 
 
 


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最終更新日:2010/11/15