自分と他人を比較することによって いろいろな “慢” が生まれる
<解説>
我々は 「我慢」という言葉を 「遊びたいのを我慢する」 という具合に 良い意味で使う
正しくは この場合は 「忍辱(にんじょく)」 というべきである
しかし 仏教では 「我慢」 を慢心の一つとして否定している
つまり 自分の肉体や精神が永遠不滅であるかの如く過信して
必要以上に格好をつけて それを頼もうとする心が 「慢心」 で
「仕事に打ち込んだはいいが 病気になって迷惑をかける」 の類である
仏教では 「我慢」 のほかに 人間に次の六つの慢があり 併せて 「七慢」 と説いている
@ 悟ってないのに 悟ったと錯覚する慢心 : 「増上慢」
A 徳が無いのに あるとうぬぼれる慢心 : 「邪慢」
B 自分より劣った者に対しては 自分のほうが優れていると思い
自分と対等な者に対しては 同等と思うこと : 「慢」
C 自分と同等の者に対して 自分の方が優れていると思い
自分より優れた者に対しては 同等と思うこと : 「過慢」
D 自分より優れた者に対して 全く自分の方が優れていると錯覚すること : 「慢過慢」
E 自分よりはるかに優れた者に対して 自分は少しだけ劣っていると思うこと
: 「卑慢」
比較することで 人や物の価値を定めようとするのが人間社会の常である
さて あなたは 「七慢」 のどれに近いでしょうか?
凡俗のわれわれは かならず どれかにあてはまるはずである
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