(さんじょうじゅうにぶんきょう)
大切なのは “経典” ではなく その精神である
<解説>
仏教の経典を形式で分類して “三乗十二分経” という
この経典を 一休禅師は便所紙になぞらえて こう説いた
「紙に書いたお経の方が 人間より大事だとは笑止千万
この身は 飯も食らえば説法もする この生きた経典(自分)と 不浄をぬぐう反古紙にも
等しい経典と どっちが大事か・・・」 と
(一休さんはトンチでユーモラスな小僧だったが 禅師になっては風狂の禅 ・ 型破りな説法が定評)
贅沢やバクチにより ローン地獄で一家離散ということが珍しくないこの頃だが
これでは家(物)が大事か 家族(人)が大事かわからない
経典も その精神が大事なのであて 経典そのものに価値があるわけではない
形にとらわれ過ぎて 結果的に人を犠牲にする
こんな風潮が 昨今の現実社会であります
ものの豊かさを追求するあまりに 人の心を置き去りにして 突っ走っている現代をみて
一休さんはなんと説くであろうか?
「愚かさを気付かない奴が最も愚かじゃ!立ち止まって 己の足元を見よ!」
「自分で始末出来ぬなら 口も手も出すな!」 とか何とか・・・
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