人は自分の稼ぎで食べているのではなく
見えない施しで食べさせてもらっている
<解説>
乞食(こじき)が 無為徒食のタカリに堕ちたのは 後の世のことで
釈尊の時代は違っていた 乞食(こつじき) は托鉢のことで
釈尊も乞食(こつじき) をして糧を得たのである
昔 インドでは 老後はあらゆる執着を捨て 諸国を歩き回ることが理想とされた
その場合 日々の糧は托鉢によって得る
ここから転じて 乞食といえば修行僧を指し 人々から尊敬されこそすれ
卑しまれる行為ではなかった
毎日の糧は 自分の働きがあるからだと思っている現代人は
自分もまた他人に 目には見えない施しを与えられていることに気付かねばならない
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