いっさいを諦めて はじめてほんとうの賭けができる
<解説>
凡人はつねに何かに迷っている 右をとるか 左をとるか
右を取ろうとすれば 左に未練が残り 左をとれば右がよさそうに見える
そんなときは どうすればいいのか
江戸中期の白隠禅師は 十九歳の頃に 「参禅学道」 に迷いがあった
仏道を捨てるべきか否か 本当に迷った その時白隠禅師は賭けをした
白隠禅師は 美濃の瑞雲寺におもむいたとき 寺では数百巻の書物を虫干ししていた
白隠禅師は 山のような書物の中から目をつぶって 一冊を抜き取り
その書が仏書であれば このまま仏道に精進しよう
しかし儒学の書なら 儒学者になろうと腹をくくった
さて 白隠禅師の賭けはどう出たか
彼の手にした書は 「禅関策進(ぜんかんさくしん)」 という禅の仏書だった
白隠禅師は 賭けようと決めたときに 自分のいっさいを諦めた
諦めないと賭けはできないからである
諦めるとは こだわらないこと 悟りを開くことの同義語であるからだ
わたくしたちも くよくよ悩むより はやく諦めて 賭けに出るべきである
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