盲目的な愛は 周囲に不幸をつくる
<解説>
キリスト教では 「汝の隣人を愛せよ」 という 愛は至高のものとされる
仏教では 愛は 「愛欲」 や 「渇愛」(凡夫が五欲に執着すること) に使われ
悪の一つに見立てられる
では 仏教に 「親子の愛」 「夫婦の愛」 などが無いのだろうか むろんある
キリスト教的ニュアンスではなく もっと広がりを持つ 「いつくしみ」 のようなものである
愛とは 例外なく独占をはかろうとする
愛する女性がいれば 他の男性にとられまいとするし
目の前に一つだけリンゴがあれば 我が子に与えたいと人は考える
愛が氾濫する現代において それは当たり前で そのどこがいけないのだと
人はいうだろうが 仏教の理想とする 「あまねく一切に及ぼす」 と
「自分だけ」 の間には大きなへだたりがある
仏教では 母親は地獄に落ちることになっている
なぜなら 母親は子が飢えに泣くとき 他人の子が持っている食べ物を
奪ってでも食べさせようとする盲目的な愛を秘めているからである
今の世の中を見ると 「自分さえよければ」 という非仏教的な愛が
はびこっているように思える
愛もけっこうだが 盲目となり 周囲に不幸をつくり出してはならない
|