今はさすがに少なくなったが ひと昔前までは 子供が理詰めでものを言うと
「理屈を言うな!」と真っ赤になって怒鳴る父親が多かった
今でも理屈っぽい議論を嫌う風潮が残っている地方もあるそうだ
そこでは理屈で言い負かされるのを嫌ったためか
それとも 不言実行を好んだためか
道元禅師のことばを記録した「正法眼蔵随聞記」には
人と理屈で争うことについて 次のように書かれている
「設使(たとひ)我れは道理を以て云ふに 人はひがみて僻事(ひがこと)を云ふを
どんな難事でも とにかく始めてみないことには始まらない
理を攻めて云ひ勝つはあしきなり」と
意味は「自分が正しく 相手がまちがっていると思っても 理攻めに相手を追い込んで
勝つのはよくない」である
なぜなら 相手にはしこりが残るし 言い負かしたところで空しさが残るだけだ
道元はさらに言う --といって 自分では正しいと思っているのに
「わたしがまちがっていた」といって退くのも卑屈でよくない
一番よい方法は 相手の言うことを忘れ 気にかけぬことだ
そうすれば相手もこちらの言うことを忘れ 根に持たなくなり
論争は自然に止まるだろう
ものの本によると 道元禅師に限らず高僧たちは 論争を吹っかけられても
ニコニコして巧みに相手をはずしている
言い負かしても何もならないことをよく知っているから そうするのである