他人に物を差し上げるというのは案外むずかしい つまらないもので肩身が狭いとか
下心をかんぐられるのではないかなど さまざまな思惑がからむからだ
僧の托鉢は 施す者も 受ける者も そして物自体もすべて無心という
「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」 の行いである
そこには邪念の入り込む余地はない
施す者は ただ物への執着の一部を 捨てることのできることを喜ぶのだ
つまり 布施は自らのためにする行為であって
相手の気持ちを忖度(そんたく)しない
だからこそ 受ける者も 無心に受け取ることができるのである