釈尊の弟子にソーナという比丘(びく)がいた
かれは日々わき目もふらずに修行に励んだが
どんなに厳しい苦行を積み重ねても なかなか究極的な悟りが得られなかった
絶望した彼は 還俗(かんぞく=俗人にかえること)を決意し 釈尊にその旨を申し出た
すると釈尊は 琴を弾くとき 絃をあまり強くしめすぎてもいけないし
ゆるめすぎてもよくないという例を引き 修行もそれと同じであると諭した
あまり刻苦勉励
(こっくべんれい)が過ぎてもいけないし 気をゆるめすぎてもいけないのだと教えられ
ソーナは修行のあり方をおぼろげながらわかってきた
以後 彼はゆったりとした気持ちで修行を続け やがて大いなる悟りに到達することができた
これが仏教で言う「中道」である ソーナの姿は じつはかつての釈尊と似ていた
釈尊はあらゆる苦行を重ねて それでも悟りを得られぬ苦悩の中で
ふと天啓のように中道に思い至ったのである
しかし中道と言う概念は仲間には理解されなかった
死ぬような苦行か さもなければ安逸放恣
(あんいつほうし)か
その両極端しか考えられぬ彼らは それは墜落だと非難した
が 釈尊にとって中道とは 苦行を超えた道であり
苦行に耐え切れずに選んだ安易な道ではなかった
中道を何か気楽な ほどほどの生き方と思うのは大きな間違いである