生と死 善と悪とは もともと対立するものではない
<解説>
石川啄木の 「墓碑銘」 という詩に 「鉄槌の如き腕(かいな)と
しかして また かの生を恐れざりしごとく 死を恐れざりし 常に直視する眼と・・・」
というのがある
一人の機械職工を謳った詩であるが 詩を読む限り
主人公は生死いずれにもとらわれず 黙々と仕事に取り組んでいた という印象を受ける
人間にとって なぜ死が恐ろしいかというと 生を知っているからである
すなわち生と死を対立させて考えるから よけい死が恐ろしいものに映るのだ
同じように なぜ人が悪を憎むかというと 善の心地よさを知っているからだ
では 人は死や悪を考えず プラスイメージの生や善だけを一元的に考えられるかというと
それはどだい無理である
いちばんよいのは対立する観念を両方とも忘れようとつとめることだ
たとえば 山で美しい鳥の声を聞いたなら 騒々しい都会の音や
その他の雑念をすべて忘れ去り ただひたすらその声に聞き入るようにする
そうすることによって 鳥の声はまえにも増して 美しく響きわたるのである
禅の高僧は ときとして浮世離れしていると評されることがあるが
それは ある程度当たっている
生もなければ死もなく 好きもなければ嫌いもないというように
世間の価値判断とはすこし離れた地点で認識し 行動するからである
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