“してはいけない” と思うと かえって心の自由が失われる
<解説>
われわれは いつも何かにこだわって生きている
こだわっていないつもりでも 無意識にこだわりを持っている
心には何もない といっても 実はその 「ない」 ということにこだわっている
ある僧が趙州(じょうしゅう)禅師に
「一物不将来(いちもつふしょうらい)のとき如何」 と問うた
一物とはただひとつのもの 不将来とは持っていない意
「何も持っていないときはどうなのですか」 と
つまり 自分にはひとつの煩悩もない
まったく無になりきっているのだという意味をこめた問いである
趙州は 「ではそのものをそこに置いていけ」 と答えた
何ももっていないというそのことに彼はこだわっている
そのこだわりを捨てよと教えたのである
これと同じく 悪いことをしてはいけない
すべきではないと いつも思い続けているのも こだわりである
もっと心を自由に保ち 何の構えも気負いもなくサラリとしていたい
無になりきって なおかつそのこと自体にすこしもこだわらない
つまり 「無」 そのものを自分の心とするのである
こういうとますますむずかしくなるだろうが
無になりきることによって真の自己を見出す・・・それが禅の道なのだ
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