左右のちがいにこだわらないのも 真ん中を行くのも同じことである
<解説>
白隠禅師に 「達磨夕涼」 という画と賛がある
その賛が 「よしあしの葉をひっしひて夕涼」 である
また白隠と同時代に仙涯(せんがい)という禅者がいるが
彼は 「よしあしの中こそよけれ夕涼」 と葦(よし)の絵に賛した
どちらも似たようなものを詠んでいるが そこにはだいぶちがいがある
よし(葦)は大阪 あし(葦)は東京の呼び方である
これを善し悪しにひっかけたものである
白隠は 善し悪しを超越し 仙涯は善し悪しの中道をとった
どちらがいいかはあなた自身が決めることだ
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