・・・法句経の一節
仕返しは 仕返しを生むだけである
<解説>
1951年のサンフランシスコ講和会議の席上で
当時のセイロンの首席全権が この句の意味を引用して
「日本の戦争責任への恕(ユル)し」 の言葉を宣べて日本を弁護した
また 中華民国の蒋介石も
「日本の非道は 非道として 暴に報いるに 暴を以ってせず」 といった
憎い相手を怨んでいるだけでは何も解決しない
怨みは怨みを生み 延々と果てしなく続くだけで きれいさっぱり怨みを忘れてこそ
お互いにとって新しい道が開けてくる
アジアでの非道とは逆に 東欧での善行も歴史に残っている
リトアニア駐在公使 ・ 杉原千畝 (チウネ)(愛称Mr.センポ) は
1940年 戦況の悪化の時に40日間で昼夜を忘れ 2193枚の出国ビザを発給し
ナチスに追われるユダヤ人6000人の命を救った
戦後に外務省は彼を称えるどころか ユダヤ人から賄賂を受けて 私服を肥やしたと
逆宣言し解雇して 美談は公にされなかった
Mr.センポに救われ 後に駐日イスラエル大使に就任し
1968年になり杉原の存命を知った時点で やっと再会できた訳で
1985年にイスラエルからの叙勲が認められたものの 翌年に死亡した
その後2000年になって
外務省は彼の名誉をようやく回復させるに及んだ次第である
アジアの非道にしろ 東欧の善行にしろ 戦争行為がもたらした悲劇でしかない
「人命の尊さ」 の観点で歴史認識するべきである
戦後60年にあたり これらの事実に向けて日本の国民が
もっと素直に考えるべきでしょう
「靖国参拝問題」 を一つの例にしても
「中国・韓国の発言」 「国内各政党やマスコミの対応とその発言」 などに左右されて
あまりにも一貫性が無く こだわりが過ぎているようで
政争の具や相互の駆け引きに終始している
「是は是と主張し 非は非と認めて」 その上で 「毅然とした国の姿勢」 を以って
国家としての終結宣言をする時期でしょう
郵政民営化の比ではない国家の重大事項で
憲法改正の発議がでるこの時期なればこそ 明確に国の方針を出さねばならない
|