・・・ 般若心経の一節
レッテルにとらわれずに 自由自在に世の中を見る
<解説>
高価なブランデー (ナポレオン) の空き瓶に安価なブランデーを詰めて
友人をかついでみたら 彼は 「さすがナポレオンや!」 と
信じ込んで大いに堪能したという笑い話がある
要するに彼はレッテルによってブランデーを味わったに過ぎない
自分の舌で味わったわけではない
「自分に由(よ)る」 つまり自由がないのである
かくのごとく我々は自由なようで はなはだ不自然に世界を見ている
それは我々の心が “差別(シャベツ)” により がんじがらめになっている
「ナポレオンはうまい」 という差別が味覚を誤らせる
また 「ウチの子に限って・・・」 という差別が子供の非行を見えなくする
我々の見ている世界は あるがままの姿からは意外と程遠いのである
「般若心経」 に出てくる 「観自在菩薩」 とは その名の示すとおり
「自由自在に観(み)ることのできる菩薩」 である
一切の差別を超え 「あるがままの世界をあるがままに観ることのできる菩薩」 である
禅の目指す境地も この 「観自在」 にあるといってもいい
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