和尚の小話
 
 
 


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 [9]   平 常 心                                <平常心シリーズ(3)>
 
さらに <西堀先生は こう云っておられる> 「平常心」 とは
 
「平常心」 という 「心」 が必要で これはいかなる場合に立ち至ろうとも 「平然」 としていることです
 
そういう 「心」 を起こすには どうしたらいいかというと これは 「覚悟」 をしておく必要がある
 
何を覚悟するかというと 「思いもよらないことが起こるぞ」 ということを覚悟しておくということなのです
 
そうすると思いもよらないことが起こっても 予定の如くであり慌てふためきませんね
 
ということは何かというと 「俺のやった道は 完全なものである」 と思わないことで
 
不謹慎にも 「俺のやったこの道は 完全である」 と思うと
 
いざという時に慌てふためくことになるわけです
 
「初めからうまくゆかないに決まっている」 「思いもよらない事が起こるから」 と そう思ってさえいれば
 
「ホイ来た」 と こう来るわけですよ
 
この道筋をどうしたら獲得できるか ここが問題なのです
 
鍛錬の繰り返し 訓練の継続 バカかと思うくらいに やり続けることで 
 
その中から自分流に ハッと気付くことが 意外なことから生まれてくるのです
 
「技」 が身にも付くし 心も澄んでくるし 「心 技 体」 が一つになってくるんですよ
 
「平常心」 に到るには 「鍛錬」 と 「覚悟」 が要ります これが 「修行」 なんです
 
決して頭で考えるのではなく 理屈抜きで行動することが先でして 
 
頭で考えることが先になると 怖くて何も出来なくなるんです
 
 
<住職のコメント>
 
@ 修行した禅宗の和尚さんといえども 完成した人はいないんです
 
A 一生涯が修行なのですよ
 
B だから 「自分は完成された道を歩いている」 なんて思う和尚さんはいません
 
C こちらが 「厳格なだけでは」 皆さんが 「構える」 ことになるし
 
D 一休さんに代表される 「トンチとユーモア」 は 型破りな和尚さんの典型である
 
E これは 「内に厳しいものを備えつつ 外に向けては平然としておれる」 自然体です
 
 
正に 「こだわらないこころ」 「フリーマインド」 「無の心」 につとめることであります
 
日ごろから何事に対しても 平然としておれるように 「身心の訓練」 をすることが
 
名人 ・ 名選手であり 何かを成し遂げる人物であることは確かです
 
その人のみが 「平常心 (ビョウジョウシン )」 を語れるのかもしれませんね
 
 
   宮本武蔵 曰く 「心を一ヶ所にとどめず たゆたわせることで 強くなれる」 と
 
 
                    
                                              2005年12月20日
 
 
 
 



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