さらに <西堀先生は こう云っておられる> 「平常心」 とは
「平常心」 という 「心」 が必要で これはいかなる場合に立ち至ろうとも 「平然」 としていることです
そういう 「心」 を起こすには どうしたらいいかというと これは 「覚悟」 をしておく必要がある
何を覚悟するかというと 「思いもよらないことが起こるぞ」 ということを覚悟しておくということなのです
そうすると思いもよらないことが起こっても 予定の如くであり慌てふためきませんね
ということは何かというと 「俺のやった道は 完全なものである」 と思わないことで
不謹慎にも 「俺のやったこの道は 完全である」 と思うと
いざという時に慌てふためくことになるわけです
「初めからうまくゆかないに決まっている」 「思いもよらない事が起こるから」 と そう思ってさえいれば
「ホイ来た」 と こう来るわけですよ
この道筋をどうしたら獲得できるか ここが問題なのです
鍛錬の繰り返し 訓練の継続 バカかと思うくらいに やり続けることで
その中から自分流に ハッと気付くことが 意外なことから生まれてくるのです
「技」 が身にも付くし 心も澄んでくるし 「心 技 体」 が一つになってくるんですよ
「平常心」 に到るには 「鍛錬」 と 「覚悟」 が要ります これが 「修行」 なんです
決して頭で考えるのではなく 理屈抜きで行動することが先でして
頭で考えることが先になると 怖くて何も出来なくなるんです
<住職のコメント>
@ 修行した禅宗の和尚さんといえども 完成した人はいないんです
A 一生涯が修行なのですよ
B だから 「自分は完成された道を歩いている」 なんて思う和尚さんはいません
C こちらが 「厳格なだけでは」 皆さんが 「構える」 ことになるし
D 一休さんに代表される 「トンチとユーモア」 は 型破りな和尚さんの典型である
E これは 「内に厳しいものを備えつつ 外に向けては平然としておれる」 自然体です
正に 「こだわらないこころ」 「フリーマインド」 「無の心」 につとめることであります
日ごろから何事に対しても 平然としておれるように 「身心の訓練」 をすることが
名人 ・ 名選手であり 何かを成し遂げる人物であることは確かです
その人のみが 「平常心 (ビョウジョウシン )」 を語れるのかもしれませんね
宮本武蔵 曰く 「心を一ヶ所にとどめず たゆたわせることで 強くなれる」 と
2005年12月20日
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