和尚の小話
 
 
 


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 [10]   さ だ ま さ し  『 M O T T A I N A I  (も っ た い な い) 』 
 
「足るを知る」 が人生を豊かにする
 
 
先日 (3月22日) 愛媛県民文化会館での さだまさしコンサートツアー 「とこしへ」 に
 
行ってきました (さださんは松山での50回目記念コンサートになりました)
 
今回は 「MOTTAINAI もったいない」 の曲を生で聴くのが最大目的でした
 
昨年9月7日発売のアルバムの中にあり さださんが ソロコンサート29年目・3333回
 
ありがとうコンサートと同一日であった
 
このコンサートの模様 (東京 ・ 武道館) はスカイパーフェクTVで録画のDVDを見たが
 
この曲 「MOTTAINAI」 とその語源に感銘した次第です
 
今回の小話は この曲とトークの一部を紹介しつつ
 
「足るを知る」 ことについてお話してみましょう
 
 
そもそも 「MOTTAINAI」 をローマ字で表現する意味は?
 
ノーベル平和賞受賞者 ケニアの 「ワンガリ ・ マータイ女史」 の提唱に由来する
 
彼女は 「地球を緑に!」 との植林活動ボランティアで有名で 過日 日本へ来た時に
 
日本語の 「もったいない」 の一語に感動されて 「ぜひ世界語にしましょう」 と提案され
 
単語 「MOTTAINAI」 が誕生し すでに世界へ向けて紹介されているとのことである
 
では日本語の 「もったいない」 とは どんな意味があるかというと
 
「そのモノの価値が 生かされず 使われず 放置され 忘れられ やがて捨てられる」
 
この状態や行為が 物不足時代に生きてきた人からは 「もったいない」 と発せられる
 
 
さださんの曲は ぜひCDで聴いていただきたいと思うが 歌詞の一部を紹介すると
 
 ♪豊かな時代に生まれて来たから 食べられるものが沢山あって
  
   食べ残しても胸が痛まなくなっちゃったよ MOTTAINAI ・・・
 
   自分さえ良ければいいってのは 自由ではなくって利己主義なんだよと
 
   誰も教えてくれなかったなんて MOTTAINAI ・・・
 
   親が命懸けで生んでくれて それなりに必死になって育ててくれて
 
   なのに自分だけで育った気になるなんて MOTTAINAI ・・・
 
   心が痛い 冥利が悪い もったいない もったいない もったいない もったいない
 
   平和な時代に生まれてきたから 平和がどれ程素晴らしいかに
 
   気づかないから ありがとうを忘れたね MOTTAINAI  命を大切に ・・・
 
   愛に溢れた時代なんだよ 本当は今世界に愛は溢れているんだよ
 
   受け止める心が枯れているだけなんだよ MOTTAINAI ・・・ 
 
   いつかは届く 必ず届く  この愛 この苦しみ この痛み やがてしあわせ
 
   心が痛い 冥利が悪い もったいない もったいない もったいない もったいない♪
 
 
「マータイさんの提唱」 を さださんが 「MOTTAINAI」 で呼びかけている
 
外国の人が感じ取っている 「すばらしい言葉」 を
 
今の日本人が感じ取れない筈がないでしょう  共に感じ取り 一緒に考えて下さい
 
 
実話ですが ある朝 女子大の先生がすれちがった学生に 「おはよう !」 と挨拶をした
 
学生は無言で行き過ぎるので 先生は 「朝のおはようは大切だよ」 と声をかけたら
 
「先生!人が 『おはよう』 と言ったら 『おはよう』 と返事しないと駄目なの?」 ときた
 
「それが挨拶というものでしょう?」 と諭したら 真顔で次のように切替してきた
 
「でも先生 それは変です 朝のテレビで 『おはようございます』 と言っても
 
テレビ見ている人みんなが 『おはよう』 と言わないでしょう 言ったら変でしょ」 と
 
先生は自分がテレビと同一視されていることに愕然としたらしい
 
今は 「挨拶が出来ない」 ではなく 「挨拶を知らない」 人が多くなりつつある
 
その根本原因は何か? 「人間性の喪失」 言い換えれば 「心がない」 のである
 
21世紀は 「心の時代」 と言うが 実は 「心がない時代」 に落ちつつあるかもしれない
 
人間が人間の心を無くして 平然としておれるのは 寂しい時代である
 
 
子供の世界では 現実社会とテレビが一緒になっているケースが多いと聞いたことがある
 
小学校で先生が授業をしているのは 単にテレビ画面に過ぎないのか?
 
だから 家でテレビを見ているときと同じで 騒いでもいい ということになる訳かなあ?
 
このような状態の心を 「機心 (物事を機械的に捉える心)」 と呼ぶらしい
 
多分 「機心」の状態では 「もったいないの心」 を理解できないのは無理からぬことである
 
 
禅語に 「知足常楽 (ちそくじょうらく)」 という言葉があり
 
「足るを知る」 こころを説いている 知足の実行 知足の英知を身に付けることである
 
世間の景気がよくなり モノや金が豊かになるとそれに順応してしまい
 
景気が悪くなると苦しみあえぐのが人間の欲望という本能である
 
例えば 節電をするのは 「用が済めばスイッチを切る」
 
この器具のスイッチを切る行為は 「欲望をコントロール」 することにつながっている
 
科学技術文明は欲望を満たすために発達したから 「楽していい目をする=怠惰」 である
 
やはり いつかは人間を改造して 「傲慢な欲望を自制」 しなくてはいけない
 
言い換えれば やはり 「足るを知る」 という考えによって
 
必要以上に高度な現在の生活レベルを下げる実践とその努力が大切である
 
現代人は豊かさに浸かりきっていて 「足るを知る」 のは難しいという人が少なくない
 
ある意味で 現代人は 「知らない」 のではなく 「なにもかも気がついている」
 
気付いていて 「実行の踏ん切り」 をつけられず 実行を先延ばしにしている
 
 
人類は何事にも克己心を持って 厳しく自分を叱咤しなければいけない
 
確かに不幸は人によりもたらされることがある しかし幸福も人間から来ると信じている
 
人間を悪くするのも善くするのも人間だから どこまでも人間に失望しないこと
 
私の持論は 「人に人たる英知があればこそ 地球と人間を救うのは人間である」 と
 
私も もう一度 今こそ人間を見つめ直したいと思う
 
 
                              
                                        2006年3月27日
 
 

さだまさし ・ とこしへ

 
 
 



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