仏教行事には季節感を伴うことが多々ございます
1月16日 ( 15日の小正月=神事の翌日 ) は仏事ごとの始まりの日に当り
先祖供養 ・ 墓参をするものです
8月13日〜16日 は 「お盆」 の先祖供養 ・ 精霊まつりがあり 夏の大型連休
としての原点がここにあります
3月&9月は 「春彼岸」 「秋彼岸」 の先祖供養があります
「春 ・ 夏 ・ 秋 ・ 冬」 は四季変化のある中で生活様式が形成され 素晴らしい
環境と 柔軟な国民性を持ち合わせており 本当に幸せな国であると思います
暑い夏も 清々しい秋が来るから耐えられるし 寒い冬も 暖かい春が来るから
我慢が出来る
「暑さ寒さも 彼岸まで」 と古人は云い 誰もがホッとするのではないでしょうか
しかしながら 少し残念なのは 「地球温暖化」 の影響でしょうか
秋の彼岸でも 夏のように暑かったり 春の彼岸なのに 初夏のような気候で
あったりして 戸惑うのは皆さんも同じでしょうか
さりとて 彼岸を1ヶ月くらい前後できるかというと そうはいかんのですよ
春彼岸 ・ 秋彼岸には かなりの日本人が墓参に出かけます
でも どうしてこの日に墓参するのか?
その意義や由来をご存知の方は意外に少ない
春分の日 ・ 秋分の日があることは 皆さんご存知ですね
この日は 宇宙の原理で 「昼と夜の時間が同じ」 ということもご存知ですね
この 「同じ ・ バランスよい ・ かたよらない ・ 平等」
という事が 仏教的には大事なのです
昼と夜の時間が同じということは 太陽が南にも北にもかたよらず
真東から昇り 真西に沈むということです
結論から先に述べると 「太陽が真西に沈む」 ことが先祖の霊が祭られている
墓にお参りすることと関係があるのです
「観無量寿経(カンムリョウジュキョウ)」 というお経があり その解説書を見て
いると 「春と秋の二回 太陽が真東から昇る日があり その真西に没した遥か
彼方に 阿弥陀如来の住む 極楽浄土あり」 と
書かれていることに由来するのです
この日を中日 (チュウニチ) とし 前後3日を加えた1週間を 「 お彼岸 」 と
定めたのです
朝早く 海や山々など地平線から美しい太陽が昇る
その時古来より人は「よし !今日も一日元気で頑張るぞ !」と決心したものです
そして知らず知らずに 「手を合わせたくなる」 のが自然ではないでしょうか
一日を懸命に働いて 夕方には沈みゆく夕日を見て ホッと一息
「 今日も一日無事に生かせていただいた 感謝の念が沸いてくる 」
そして西に向かって自然と手が合わさってくる
この素直な人間本来の心の営みが 「 お日様を拝む心 」 と
「 西方浄土 ・ 極楽を念ずる心 」 が重なって現在まで続いてきました
彼岸(ヒガン) は字の如く 「かなたの岸」です
こちらの岸は 「此岸(シガン)」 と言います
向うとこちらですから 間に川のようなものがある
これが 「三途の川」 と考えてください
彼の岸は極楽で 此の岸は煩悩の業火が燃える苦の世界です
誰もが極楽でありたい 「早く彼岸に到達したい」 と思うものです
彼の岸に到るので 字は 「到彼岸(トウヒガン)」であります
語源はサンスクリット語で「パーラミータ」 と言います
「パーラミータ」 この音感はどこかで聞いたことありますね
漢字で音読み風に当てはめると
「波羅蜜多(ハラミタ)」 → 「般若波羅蜜多」 ですよ
あの有名な 「般若心経」 なのです
このお経は 極楽浄土・彼岸へ行くことのハウツウ 教えが書かれているのです
この川の渡り方には 古来より 「舟に乗る」 とあります
* たった一人で小さな舟に乗って渡る 危険ですよね 自信ありますか?
この方法は大変でして 厳しい修行を通じて渡り方を学ぶ必要があります
この教えの流れを (小さい舟に乗ることから) 「小乗仏教」 による到彼岸
という
* 一人でなく みんなで一緒に渡る事が出来たら どんなに楽でしょうか
お互いが助け合って 交替して舟を漕いで わがままを言わなければ
何とか 共同作業で彼岸に行き着く事が出来るでしょう
この教えの流れを (大きい舟に乗ることから) 「大乗仏教」 による到彼岸
という
* もう一つ 舟を使わずに渡る方法があります
加持祈祷で自分の力(霊力)を高め ポンと川を飛び越える
この教えの流れを 「密教修行」 による到彼岸という
仏教の大きな流れに 三つあるが
この到彼岸三種の方法にも 関係しているのです
人は皆 「 心の安らぎを求めて 」 安住の地 (パラダイス) を到達点にします
宗教は全て 心安らかな地 = 天国へ到るには 「愛」 の実践であると
説いています
お互いが信じ合い愛し合う姿と お彼岸供養とが繋がって欲しいものです
2005年9月16日
西方浄土へ彼岸花を捧ぐ

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