和尚の小話
 
 
 


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 [13]   松 山 千 春 を 語 る  <千春語録(4)> 「いじめる子 と いじめられる子」   
 
先ずは 千春語録(4)の紹介 : 2006年11月20日(月) 松山市民会館にて
 
    〜 松山千春デビュー30周年記念コンサートツアー2006「再生」 〜
 
いつもながら大胆なトークを聞かせてくれる
 
前回は 「愛されることの実感」 があって 「愛する心が生まれる」 という趣旨であった
 
今回は 「いじめる側」 にも 「いじめられる側」 にも問題あるとの視点である
 
 
 
<千春語録(4)>
 
問題になっている 「いじめ」 は昔からあった
 
いまどき マスコミは事件の結果と現象だけにとらわれ 被害者と学校当局に執拗なまでの取材を
 
繰り返しながら 問題の本質に切り込んでいるとはいえない  端的に言わせてもらうと
 
「やるなら徹底的に 加害 ・ 被害双方の要因にスポットを当てろ」 と言いたい
 
「いじめは絶対に許されん!徹底的に排除するべきである」 この事実は誰も否定しない
 
しかしながら 「いじめられるような弱さで これからの社会で生きられるか?そうだろうが!」
 
この両面で大人社会が 「教育して ちゃんとしつけることから」 正していくべきである
 
 
 
<住職から提言>
 
過去二回 (6月&7月) 教育について提言して 和尚の小話もしばらく中断状態でした
 
この間も 「いじめ自殺」 が絶えることなく 教育現場は 「履修のがれ」 
 
行政は 「やらせタウンミーティング」 国会は 「教育基本法を無理やり成立」 と展開があった
 
またメディアを通して多くの人の問題提起や意見考えが展開された
 
いずれの提言も なるほど!とうなづけるが どうも決め手になるとは思えない
 
なぜなら大半は 「目先の現象」 や 「起こった結果」 に怒りをぶつけるにすぎない
 
戦後60年(二世代)での大きな変化が今日の教育問題になっているから
 
そんなに簡単に答えは出せない それほど根が深いということである
 
振り返ると 戦前は 「教育勅語」 という教育の基本があって その教育の過ちを反省し
 
終戦直後に教育(行政含む)の民主化を狙いに 「教育基本法」 が制定された
 
その後60年が経過して経済成長とともに 「組織の中の個人」 のあり方に変化が生じた
 
「個性や自主性」 が弱められ 「公共の精神」 が忘れられ やがて 「心の危機」 に至った
 
「人の品格」 にかかわることだけに 良いも悪いも60年の歴史が生んだ結果である
 
そこで今回の教育基本法の改正は 「時代に即した新たな理念」 として 実に重要である
 
しかし これからが本当の教育改革であり 国家課題として各階層が真剣になる必要がある
 
要は現場がどう変わるのかである
 
「家庭教育」「地域社会教育」「学校教育」 がセットでなければならない
 
 * 特定の宗教団体ではなく歴史で培われた 「日本人家庭での宗教観」 の育成が重要であり
 
 * 国や郷土を愛する前提に 「人を愛する」 大原則 が不可欠である
 
 * 教育行政は どこに目線をおくべきか 「誰を教え育てる行政か」 が問われる
 
このコーナーは6月の第一回では : 宗教の全てに共通する 「人を愛する心」 を提言し
 
7月の第二回では : 「愛されることの実感」 の必要性を提言してきた
 
今回は直面する 「いじめ ・ 自殺」 に視点を当ててみたい
 
 
 
確かに千春さんが言うように 片側だけの原因で 「いじめ ・ 自殺」 に至るものではない
 
「いじめ ・ 自殺」 は待ったなしである 大人社会があれこれ責任回避している場合ではない
 
子供の今が危ない 先生も自信なくしている 親が困惑している
 
何が必要か?ズバリ言って 「家庭での幼少期のしつけが欠落している」 ことと
 
「学校教育での自由度がない(ゆとり教育とは違う)」 の2点である
 
今の教育は親も学校も全てのことに物差しを当てる 
 
これは一言で 「因果」 に執着しているからだ
 
それは 「因と縁」 の区別がついてないから(大人の都合だけで)結果判定したがる
 
人と人の 「縁」 がすべての条件(源)となる  良いも悪いも 「縁」 次第やから 
 
自由な行動から 「因と縁」 を体得させることが本来的教育である
 
「体育 ・ 音楽 ・ 英語 ・ 数学 ・ 科学など等」 多くある中で 自分がやりたいことをやらせる
 
少し自由な考え方があれば学校教育はバラ色であるはず そういう居場所を作ってやる
 
強いものと弱いものを競争させるから これが 「弱肉強食」 の非人間社会につながる
 
地球上の万物は節操なき競争で生存することはできない
 
これまで地球の安定は 「相互が補完関係」 にあったからで
 
決して 「単なる弱肉強食の競争原理」 ではなかった
 
今の子供社会では 子供と子供の強弱関係がますます拡大している
 
強い子(暴れ者) と弱い子(軟弱者) の開きが大きくなっていて一方的にパワーが作用している
 
昔は 「いじめる側のサジ加減」 と 「いじめられる側の反力」 に復元力のようなものが働いていた
 
そこに必要な 「いたわる」 とか 「愛する」 とか 「耐える」 という働きが作用していないから
 
ハンドルを切って災難をかわせないとか ブレーキが利かない暴走状態になる
 
今回は 「いじめは加害者 ・ 被害者双方に問題がある」 との提言をした
 
次回は もう少し現場で起こっていることを専門家の視点を交えて論議したい
 
 
 
                                            2006年12月19日

松山千春DVD デビュー30周年記念コンサート2006「再生」

 
 
 



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