【経文】
無有 恐怖
【読み方】
ムウ クフ
【現代語訳】
恐怖有ることなし
恐怖におびえることもない
<解説> 今回のキーワード 「自由自在」
真の叡智を獲得すると 「故に罫石疑なし」 というところに行きつく
「罫」 の字は 鳥や獣を網に引っ掛けて獲る意味で
「石疑」 とは妨げる邪魔することである
つまり人間というものは 何をやっても あっちにぶつかり こっちにぶつかり
また ひっかかったりしている
善意でやったことが裏目に出たり 正しいことをやったつもりが逆になったり
そして思い通りにいかないからイライラし 不平をかこち 不満をもつ
とにかくこの世は 何かとままならない ところが24句 「無所得の心」 をもって
最高の叡智を会得すると 心の引っかかりや 心の邪魔をするものがなくなる
雲は 丸いと見えても フワフワして細長くなり ちぎれて また丸く一つになる
水は 岩に当たり二つに分かれまた一つになり
つぎに岩に出会えば 二つ三つに分かれる
誠に雲の如く 水の如くなればいいのですが 人間は自分の進行を阻まれると
受け流せず 「何を このコン畜生が・・・」 ということで けっとばしたり 押したり
挙句の果て自分も怪我をする始末である
「自由自在なこころ」 が有るのか無いのかで決まる
自由とは 「自らに由る」 と書き 自在とは 「自らに在る」 と書く
自由は自らに由り 自在は中心が自己に在り 何ものにも引きずり回されない
という意味である
では 心に引っかかりや邪魔するものがなくなったらどうなるか
そうなると 「恐怖あることなし」 という 「大自在」 のところに行く 怖いものが無くなる
我々が 怖いとか 恐れとか 不安とかいう気持ちをなぜ持っているかというと
そこには対人関係で 「思い通りにならなかったらどうしようか」
という恐れ不安がある
「あの人には こういうことをしてもらいたい」 とか
「これをやった結果がこうなってもらいたい」 とかいう欲望と思惑が
全部なくなるのが24句 「以無所得故」 である
だからどんな事態に立ち至っても恐怖心が生ずるはずが無い
人前で話すと 「あがる」 という人がいる あれはなぜか?
皆からよく思われたいと思って喋るからである
「こんなこと喋ると軽蔑される」「笑われる」 と意識したとたんにカーッとなる
軽蔑されても笑われても屁のカッパとなると 上がらないから不思議である
皆に感心してもらいたいという 「所得」 すなわち 「得んとする所」 があるからで
その人は 自分の心の中をのぞいてみれば良い
「かっこよく思われたい」 という欲が見つかるはずである
それがわかれば 「無有恐怖」 が理解できる
2007年7月17日
|