【経文】
無苦集滅道
【読み方】
ムクシュウメツドウ
【現代語訳】
苦集滅道もなし
釈迦は 「苦 ・ 集 ・ 滅 ・ 道」 を 「四諦シタイ」 の言葉で表し
仏教の根本原則とした
「諦」 の字は 通常 「アキラメル」 との意味で使うが
仏教では実際には「アキラカ」にする
事実を「ハッキリ」させるという意味である
「四つの事実をハッキリさせる事もなし」 という
<解説> 今回のキーワード 「四つの諦」
四諦の最初は 「苦」 である 「苦」 とはどういうものかというと
人は生まれながらに苦しみを背負った存在であり
生老病死という言葉に集約される
更に苦はどこから起こるかというと
“生まれた” ということ “死にたくない” ということ
そのような執着があるから人間は死ぬことがつらいのである
「集」 とは集めて起こす 集まって起こるということであり
前述したが 「五薀」 の 「色 ・ 受 ・ 想 ・ 行 ・ 識」 が集まって “死にたくない”
“いつまでも生きていたい” “いつまでも若くありたい” との気持ちが起こる
人を苦しめているのは 生まれたり死んだりすることではなく
“いつまでも生きたい”“死にたくない”という執着が人間に苦しみを起こしている
これが 「集」 という言葉の意味である
では そういう執着を滅すためにはどうしたらよいか
それを 「滅」 するためには 正しい 「道」 がある
この道という言葉は 滅の世界 ・ 涅槃寂滅の世界に至る道である
これら 「苦集滅道」 の四諦を釈迦は しきりに弟子たちに教えた
苦集滅道の四諦をやかましく教えたが 教えたらそこに新たな執着が起こる
ここが人間の大変難しいところで
このところを般若心経では 「苦集滅道も無い」 と喝破している
釈迦の教えといえども それに執着すれば釈迦の真の教えではない と
大胆な宣言をしている
そもそも釈迦は国の太子でありながら地位・妻子・父母をすてて29歳で出家した
出家とはホームレスではなく 大乗仏教の基本原理である出世間のことである
即ち “世間の物差しを捨てること” だと考える
世間が持つ物差し ・ 価値観を捨てること
私たちは世間の物差し価値観に縛られて奴隷になっている
そんなもの捨てて自由になれというのが出世間である
悩まずに行動できる人はそれでいいのだが それが重くのしかかっている人は
それをいったん捨てろといいたい そして自由になるべきである
「般若心経」 はそう教えている
2007年2月18日
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