人間は人間であり だれだと訊かれて 答えられるものではない
<解説>
友人の会社に電話をしたら 会社の女性が出た 「△△です ○○さんを・・・」 というと
「どちらの△△さんですか」 と聞き返された
たまたま△△は失業中だったので 「友人の△△です」 と言った
友人だからよかったものの もしそうでなかったら電話はつないでもらえなかったであろう
今の世の中は その人の所属の組織や肩書きでいっさいを判断する傾向があるので
同じ経験をした方も多いと思う
禅とは何かと訊かれたとき 「自分とは何かを問い続ける宗教」 というのも答えの一つだ
一方では一生かかって それを考えているのに 一方では何者であるかを即答せよという
どう見ても 後者に無理があるのは明らかである
「碧巌録」 には 梁の武帝に 「おまえはだれか」 と訊かれた達磨が
「不識(知らず)」 と答えたという話が紹介されている
その人間が何者であるかは しばらく話してみれば わかるのに
武帝は愚かにも世間評価をまずは訊ねた
世間で達磨が 「聖者」 と呼ばれていたとしても 「私は聖者です」 とは答えられない
わたしたちは 武帝と同じ過ちをしていないだろうか・・・
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