真理に思いをめぐらせば 執着から解き放たれ諦めがつく
<解説>
物事を諦める あるいは覚悟することを われわれは 「観念する」 という
この 「観念」 なることばは ヨーロッパから渡来した哲学用語と思われているが
もともとは仏教用語である
仏教では 仏の姿や 真理の実相にひたすら思いをめぐらすことを 「観念」 と呼ぶ
「観念」 の結果 迷いの霧が晴れ 真理が明らかになる
明らかになれば すべての執着から解き放たれ諦めもつく
「観念する」 を 「諦める」 と 同義語に使うのはこのためである
だが われら凡人は 真に観念することがいつもむずかしい
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