いちむいのしんじんをみよ
肩書や身分にとらわれていると 自分を正しく見られない
<解説>
「臨済録」(りんざいろく) の中には
「赤肉団上(しゃくにくだんじょう) に一無位の真人あり」 という一節がある
「赤肉団」 とは生身の肉体のこと
「一無位の真人」 とは世間一般の肩書を持たない真実の人間を意味する
つまり 「この生身の肉体の上に なんら世間的な位格を持たない真実の人間がいる」
というのが その意味である
臨済禅師はこう言ったあとで 「一無位の真人を看よ」 と弟子達に迫る
そのとき 一人の僧が進み出て 「一無位の真人とは何ぞや」 と問うた
すると臨済はその僧の胸倉を掴んで 「わかっているではないか 何か言え 言え」
と 詰め寄った
しかし 僧は一言も出ない
臨済は 「一無位の真人とは乾尿蕨(かんしけつ)=(糞かきべら)さ」 と言って
引き上げてしまう
臨済のいう 「一無位の真人」 とは “自己”そのものと思っていいだろう
ところがわたしたちは 社長だ部長だ 親だ子だ 夫だ妻だといった “肩書” にとらわれ
自己を正しく見ることができない
臨済は おまえたちにはそれがどうして見えないのだ と言っているのである
だがわたしたちにはそれが見えない むしろ見ようとしないのである
臨済はその愚かを一刀両断にした
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