非行の低年齢化がいわれる昨今 修身や道徳教育の必要性がよくとりざたされている
しかし 一方で ほかの授業はどうなのか
学校の授業に何も期待しなくなった親たちは 仕方なく 子どもを塾へ通わせている
学校では生徒がぼんやりと過ごす授業内容を そのままにして
修身や道徳教育をやっても果たして意味のあることなのだろうか
鈴木正三の 「驢鞍橋(ろあんぎょう)」に
「仏法というのは 分別をもって身を修めるといったことではない
あとを思わずのちを分別せず ただ今の一念を空しく過ごさないことだ」ということばがある
日本人は 宗教を道徳とか修身のように理解しがちだが とくに禅ではその立場をとらない
あとさきのことを思わず 今の一瞬を真剣に生きることが仏法に通じると
鈴木正三のことばも語っている
それならば 非行少年が暴走行為をしているのも
いまの一瞬を 真剣に生きているのではないかと言う人がいるかもしれない
鈴木正三ならどうこたえるか
おそらく 何から逃げてそんなに走りたいのかと問い返すだろう
劣等生だったから 親が冷たかったからと過去にとらわれ
受験や就職の不安や不満に身を委ねていると 今の一瞬が空しく過ぎてしまうのだ
わたしたち大人の世界 大人の意識も この例外ではない