堂々と死んでいきたい
<解説>
「須弥(しゅみ)の南畔(なんばん)誰か我が禅を会(え)す
虚堂(ぎどう)来るも 半銭に直(あたい)せず」---この世の中でわたしの禅をわかる人間はいるか
中国の高僧・虚堂が来たところで 一銭の値打ちもない
この一休の遺偈はすさまじい
ふつう 禅師といえども 死にのぞむときには必要以上に謙虚になり
ことさらに悟りを強調するものだが 一生を臨済宗の革新に献げた一休は
おのれこそ真の禅者だという
絶大の自信があって こんな遺偈を残したといえる
一所不在 みずから狂雲子と号した行雲流水の人であるだけに 恐れるものは何もない
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