若いころに これぞ「真理」と感動したことばも 年を経るにつれて次第に色あせ
つぎつぎと新しい「真理」に 変わっていくものだ
青年の日の「真理」を後生大事に 守り続けている人がいるとしたら
私はやはり首をかしげざるを得ない
浄土真宗の先達である曽我量深(そがりょうじん)に
「法とは水の流れ去ることなり」ということばがある
「法」という文字は さんずい つまり“水”に“去る”と書くように
とどまることなく流れ去っていくのが「法」
仏教でいう真理の正しいあり方であるというわけだ
禅でも 真理に唯一絶対のものはなく 師にとっての真理など
弟子にとっては糞の役にも立たぬと言い切る
ところが わたしたちはともすれば目の前の真理にとらわれ 固執してしまう
年をとればとるほど この傾向が強くなる
仕事のやり方にしてもそうだ こうすべきなのだという固定観念にとらわれ
工夫・精進をおろそかにする
だから停滞もするわけだ
あらゆる角度からたえず検討を加えてこそ 物事の正しさは保たれる
真理は わたしたちとともに成長し 変化していくべきものである