お 経 の 話T
 
白隠禅師・坐禅和讃第1句〜44句
 
(東福寺管長福島慶道老大師の法話を参考)
 
 
 


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 [6]   遠 く 求 む る は か な さ よ
 
 
仏はどこにいるぞとばかりに なぜか遠くに求める はかないことをしているぞ
 
 
<1〜6 まとめ>
 
 
死んで仏になるのは容易いこと お釈迦さんは涅槃経の中で
 
「一切衆生悉有仏性(生きとし生きるものはみな仏さんだ)」と教えている
 
死んで仏になるのはホンマなのです
 
でも死仏は仏教の本来目的ではなかった
 
仏教が第一に教えたかったのは「生きとるうちに仏さんになって欲しい」
 
ということなのです
 
人間が人間として努力することで、 自分が温かい仏さんになっていこう
 
ということです
 
 
 
最後の44句目 「此の身即ち仏なり」 と1句目「衆生本来仏なり」は同じ
 
ようなことを言うとるんです
 
同じことですが、大変な違いがありますネ、
 
1句目は 「何か知らんけど住職がみんな仏だよ」 といきなり無責任な
 
表現ですよ
 
44句目は 「この自分が仏だったのか」 と気が付く、つまり自覚する
 
そう自覚してもらおうとの教えなのです
 
1句と44句は共に仏とは「慈悲の心のある人間」「思いやりのある人間」
 
のことを言いたいわけであります
 
最後の「此の身即ち仏なり」までを聞いてもらうと何か「自分も仏やな」と
 
いう気分に必ずなると思います
 
                              2005年6月20日
 
 
 
 



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