お 経 の 話T
 
白隠禅師・坐禅和讃第1句〜44句
 
(東福寺管長福島慶道老大師の法話を参考)
 
 
 


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 [41]   此 の 時 何 を か 求 む べ き
 
 
さて この41句は坐禅和讃の極め付きでして
 
「この時」 とは 次の各句のようになった時を云う
 
「30,31,33,34,35,36,37,38,39,40 の各句の如き時」 で
 
ここまでに到ると いまさら何も求める事はない
 
すでに悟りの境地であり 何も必要としない
 
 
 
<37〜41まとめ>
 
今回は 「何事にも没頭する」 事を説明したい
 
39,40句では自分が無心になって
 
何事も三昧生活に打ち込むことを求めている
 
生きる(生活)と信じる(宗教)のどちらが大事か?と敢えて聞いてみたところ
 
ある青年が 「空腹の時に祈っても満腹にならん 宗教は第一義でない」
 
といった
 
要点を突いた意見であるが 「生活と宗教」 をセットにせず比べているからで
 
宗教は 「生活そのものではなく」 「生活の根源的なあり方」 を示している
 
人はそもそも 「反宗教的な心」 を持つから宗教が必要なので
 
その青年は反宗教的な自分の心に気付かない不安を
 
「生活第一」 に短絡させているといえる
 
 
                                2006年1月27日
 
 
 
 



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