さて この41句は坐禅和讃の極め付きでして
「この時」 とは 次の各句のようになった時を云う
「30,31,33,34,35,36,37,38,39,40 の各句の如き時」 で
ここまでに到ると いまさら何も求める事はない
すでに悟りの境地であり 何も必要としない
<37〜41まとめ>
今回は 「何事にも没頭する」 事を説明したい
39,40句では自分が無心になって
何事も三昧生活に打ち込むことを求めている
生きる(生活)と信じる(宗教)のどちらが大事か?と敢えて聞いてみたところ
ある青年が 「空腹の時に祈っても満腹にならん 宗教は第一義でない」
といった
要点を突いた意見であるが 「生活と宗教」 をセットにせず比べているからで
宗教は 「生活そのものではなく」 「生活の根源的なあり方」 を示している
人はそもそも 「反宗教的な心」 を持つから宗教が必要なので
その青年は反宗教的な自分の心に気付かない不安を
「生活第一」 に短絡させているといえる
2006年1月27日
|