お 経 の 話T
 
白隠禅師・坐禅和讃第1句〜44句
 
(東福寺管長福島慶道老大師の法話を参考)
 
 
 


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 [32]   已 ( ス デ ) に 戯 論 ( ケ ロ ン ) を 離 れ た り
 
 
(戯論 = 意味のない戯れた論議のこと)
 
戯れたことに日々明け暮れることなく
 
一切の戯論を離れた心性が 自性 = 佛と気づくことや
 
 
 
<29〜32まとめ>
 
「一体この私は誰でしょう」 「自分はいま なぜここに生きていられるのか」
 
ふと考えるのは 自身が存在感を見失った時 空しい思いになったときである
 
白隠さんは 「自分の善行を他人に施し 真実の自分の心を示し
 
おのれ本心 (自性) を知り やがて無欲 (無性) を自覚することや
 
今の自分に忠実になり 一心に生きる姿を目指そう」 と言いたいのである
 
論議 (理論) より先ずそこに 真実信心の光を燈す事 (実践行動) で
 
自性 (よい心) を知り やがて それが無性 (佛心) だと知ることである
 
 
ことに禅宗は 「直指人心 見性成仏」 といって
 
「直に人の心を指して 真実の自己を悟らせ仏にしてゆく」 という教えである
 
この言葉の説明は → ホームページ/行事の 「達磨忌」 参照
 
それではどうしたら そのような人格が出来るか その方法が要るわけである
 
その最も良い方法は 「坐禅」と「念仏」であると勧める 「集中せよ」 と教える
 
お釈迦さんは 「汝自らをともしびとし 汝自らをよりどころとして住せよ
 
他をよりどころとする事なかれ」 とさとされたように
 
仏教とは 「自己の中に光を 自己の中によりどころを発見する」 宗教である
 
 
動物愛護週間は 「人間に優しい心を取り戻すことである」 と誰かが 話して
 
いたが 全ての命が愛される心こそ 人間性の美しさである
 
人間は 「自分の命の尊さ」 をもっともっと知らなければなりません
 
二度とない人生 何にもかえられない人生 これほど尊いものはないでしょう
 
正岡子規は病中の随筆で 「禅とは いつでも死ねることと考えていたが
 
間違いであった どんな場合にも生き抜くことが禅であった」
 
と書き残している
 
苦しみに耐え生き抜く 喜びにもおぼれず正しい道を歩むことが禅である
 
 
白隠さんは 「佛心をもって生き抜く力を養いましょう」 と説かれている
 
 
                              2005年11月22日
 
 
 



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