お 経 の 話T
 
白隠禅師・坐禅和讃第1句〜44句
 
(東福寺管長福島慶道老大師の法話を参考)
 
 
 


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 [14]   い つ か 生 死 ( シ ョ ウ ジ ) を 離 る べ き
 
 
「生」 と 「死」 にこだわることなく 毎日を精一杯自由に生きることに徹し
 
いつかは自然な死を 迎えられるように 心構えましょうよ
 
 
<11〜14まとめ>
 
「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」 と歌にあるが
 
人間は必ず何かにこだわる その事が 「苦」 というもので 苦の世界が
 
この世であるとも言える
 
だから 「生 ・ 老 ・ 病 ・ 死の四苦」 にいつもさいなまれている
 
そこで苦のサイクルに入り 更に都合や立場が悪くなると 自分のことを
 
棚にあげて 相手が悪いとなりやすいんです
 
よく世間で人をののしる悪い言葉に 「極道め」 「こん畜生」 「この餓鬼が」
 
とか申しますが  この三つは三悪道といい 六趣輪廻の内でも最も悪い
 
世界であります
 
しかし 「人間道」 は 恥を知り、 自己を反省すれば生きていける世界
 
であり この反省と慙愧 (ザンキ) は やがて われわれを仏の心へと
 
導くものであります
 
 
 
 
物や金で人が救われるならば お釈迦さまは 富を惜しみなく提供された
 
ことでしょう
 
仮に 欲しい物が叶えられたとして 次に人間は何を願うでしょうか
 
それは 「年をとりたくない ・ 永遠に生きたい」  ということだと思います
 
しかし 老死にいたる生命を 「生産」 という手段では如何ともしがたい
 
でしょう
 
いったい 「老死の苦しみ」 はどこから来るか それは 「生の自覚」 から
 
来るのです
 
いつ訪れるとも知れぬ終着点を思い煩い 「無自覚な本能のまま」 
 
過ごさないで ここで 「周りから生かされているとの自覚」 で日々を
 
人間らしく 生きてはいかが?
 
無自覚が次の無自覚を生んで 永遠に果てしない六道輪廻の旅を
 
続ける宿命にならんように 無自覚から救われる道 (方法) は無いもの
 
でしょうか
 
いつの時代も お坊さんは修行しつつ  このことを悩み考え続けてきた
 
のです
 
一般の人が 「煩悩のあるがままで自覚に入る道とは?」 →この道が
 
大乗であります
 
次回 15句のところで 「大乗」 について説明しましょう
 
 
 
 
白隠さんは 1句〜14句で 「死仏」 「生仏」 の二つの説明をしている
 
のです
 
「死生観」 をわかりやすくして 「生きて仏になる」 ことを  この後も
 
続けて説明してまいりましょう
 
                                
                             2005年8月18日
 
 
 



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