お 経 の 話T
 
白隠禅師・坐禅和讃第1句〜44句
 
(東福寺管長福島慶道老大師の法話を参考)
 
 
 


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 [10]   貧 里 ( ヒ ン リ ) に 迷 う に 異 ( コ ト ) な ら ず
 
 
自分は 「貧乏人の貧民屈に迷っている」 と 言うとるような愚かさや
 
そもそも人間らしくとは 「心豊かに心広く 周りの人のことを考えて」
 
生きていかなあかんのに 現実はそうじゃないぞと
 
 
<7〜10まとめ>
 
現実はそうじゃない! 相手があってうまくいかんのです
 
物事には裏も表もあり 必ず反対があるでしょう
 
 
 
ここで論点を変えますが ある人が  「なぜ宗教が必要なんですか?」 と
 
尋ねてきました 
 
なんで人間に宗教が必要なのかといいますと 
 
「人間は反宗教的だから」 です    しかも宗教があるのは人類だけです
 
(悩んでアリさんが行列でお寺へお参りに来たとの情報まだありませんから)
 
人類が続く限り宗教はなくなりません    
 
だから自分はどの宗教宗派が良いか  自分の判断で選ぶべきなんです
 
自分がしっかりしていて 人間らしく認められ 生かされる宗教であれば
 
つまり人類にとって その宗教は必要なんです
 
 
 
さて 話を戻して 人間は元々 「自分中心主義」 なんです
 
というのは 「最も仏さん的でない」 んです
 
仏教的に優れた人間というのは  「相手のこと 周りのことが思い煩える」
 
という 「心の広さをもっている人」 のことです   一言で宗教というのは
 
仏教を含めて 「最終的には愛の世界」 でないといかんのです
 
人間はその気になれば 「慈悲 ・ 慈愛の心を持てる」 んですが 自分の
 
ことを先に考えるケースに入ると 「幸不幸 ・ 損得 ・ 苦情 ・ 不満」 がでる
 
「自分だけが良かったらいい」 と言うでなく 譲って 「さぁ-どうぞ」 と言える
 
そんな自分が仏さんなんです 
 
日常的に自覚でき 生活の中で実践出来たら 「私も仏さんになれた」
 
「優れた人間として生きれた」 と充実感ができ結果として
 
第44句目 「この身即ち仏なり」に手が届いて 「極楽浄土」 へ行けるんです
 
 
今回の7句〜10句は 結論として 我々に 「一つの自己反省」 を促している
 
                   
                               2005年7月17日
 
 
 
 



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